sakikurushima

小豆島生まれ 愛知県立芸術大学卒業後、現在東京芸大大学院在学中。

ペトリコール

梅雨ですね。

私は昔から雨が好きなのです。

理由はたくさんある気がして思い出す限り書こうと思う。

雨がなかなか降らない地域に生まれた環境なので、レア感がある。

雪も全然つもらないし降らないから雪を見るだけでテンションあがる。

あと雨の香り。

最近知ったペトリコールという単語は、雨が降ったときに地面から這い上がってくる匂いのことらしい。ギリシャ語で石のエッセンスという意味で、私はこのペトリコールがたまらなく好きである。金木犀やジャスミンの香りと並ぶくらいいい匂いだと思う。

 

中学の頃は陸上部に所属していたが、雨の日は校舎内で部活が行われた。

馬跳びや廊下ダッシュ、階段ダッシュなるものだった。それも普段の練習より楽で好きだった。

 

青春時代には、何か嫌なことが起こると不思議なことに必ず雨が降った。

そんなときは傘もささずに自ら雨のシャワーを浴びて心身ともに浄化作業をした。失恋後に風呂で涙を流す現象とは違う。あれは目を腫らせたくないだけ。雨を浴びたその後は決まって風邪を引く。

 

しかし香川県を出た後はどうだろう。

原付を乗ってたころは、雨に打たれたら痛いし寒いし滑るので極力乗らないようにしてたから雨の日は嫌だったし、傘をさすのも嫌いなので外に出なくなる。

 

ただでさえ星が見えないのに何も見えなくなる。

洗濯物も乾かないし、雨に打たれたらやっぱり風邪を引く。

都会に出ればなぜかペトリコールを感じることもなくなった。

革靴好きだけど雨に打たれるとダメになるし、長靴を履くのも蒸れるし嫌だ。

雨の音はよく眠れるので、普段よりめいいっぱい眠ってしまうし(普段もよく眠る)雨に打たれて浄化したいできごとや、相合傘をさして距離が縮まりドキドキするような出来事が起こる年ごろでもない。

満員電車に乗るようになると、窓に結露が発生するほどムシムシしている。

 

雨って最悪じゃないか。

なんで好きなんて思ってたんだろう。

むしろ嫌いなんじゃない?

 

雨に情緒を感じなくなった自分に嫌気がさす。

でもでも雨の中夜中に映像撮影してプールの中にいる作品を撮ったり中に雨降る建物を構想したりもしてた。(どちらも発表はしてない)

 

最後の雨やレイニーブルーなんかもカラオケで歌うと最高じゃないか。

雨の日の写真も割と撮ってる。

 

やっぱり好きなんじゃん?

 

風邪を引いて、気づいたら治ってた

どういうことだろう。

もう4月だ。しかも末。

今年はとっても早い気がする。

 

通勤電車の中で移動時間の約1時間半何ができるか考えてその90分が終わる。

 

行きと帰りで一本映画が観れてしまうのに。

 

今回のブログは特にこれといったものはないです。

でも、ブログの存在を忘れてないことを証明するために書きました。

 

 

 

奇跡を信じること について

「奇跡」

という言葉を使わなくなった。

 

小学生の頃、台風の日に学校から帰る道中で、同級生たちはみんな、湖のような水たまりに入って遊んだり、傘を壊してはしゃいだりしていた。

私は、傘の下で当時信仰していた宗教の教典を囁きながら帰ったら、傘が壊れずに家までたどり着いた。

これは奇跡だと思った。

 

10代前半の頃までは奇跡という言葉をすんなり受け止め、よく耳にし、なんでも奇跡だと言っていた気がする。

GReeeeNRADWIMPSの歌詞にも出てくるように、幸せや青春の時間そのものを奇跡と呼んで子供ながらロマンに浸っていた。

 

大学生になった18の頃、8歳年上の同級生に、「野望はあるか」と聞かれ、「そんなのみんなあるんじゃない?」と答えたところ、「あっても言えないよね」と彼は言った。

奇跡を信じることについても、言えないということをひしひしと感じるようになった。

 

大人の都合いい言葉や解釈を、反論したくてもウンウンと頷いて黙って聞いて、私の話はすべて「若いね」「そういう時期だよね」「これからでしょ」「若いのにそんなこと考えてるの」などの言葉で流される。

そんな機会が増えるにつれ、生きてることは奇跡なんてことは綺麗事にすぎず、カラオケでしか口に出すことはない。厨二病ピーターパンシンドロームのような扱いを受け、言葉でロマンを並べることを、避けて通るようになった。

 

身近な年下の10代の彼らは

、恥ずかしいセリフやダサい趣味を何の恥ずかしげもなくオープンにする。

そのような経験に基づいて、奇跡を信じることについて、背徳感を覚えるような世の中ってどうなんだと問いかけたい。

 

ここで読者さんは、いいじゃん奇跡信じても。口に出しても。気にしなくても。

と思うかもしれない。

確かに、その通りである。 この世でやらなくちゃいけないことなんてなくて、いつだって恥ずかしさによる閉鎖は自分を守り、自分を出さない手段にしか成り得ない。

 

しかし、「奇跡を信じること」について、口に出さない理由は、背徳感だけではない気がする。

自分にとっての幸運や、大事な時間を奇跡と呼ぶならば、それを自分のものとして仕舞っておきたいがために、言いたくないという理由である。

 

人に言ったり公に出すことで、自分の中で壊れゆくものになる気がするのだ。

 

奇跡を信じることは自分を信じることに近くて、外に出した瞬間、自分の中で美化したものが、他者によって壊れたり邪魔されることがある。

 

他者の解釈は自由で、勝手なものである。

でもそれで相手に嫌われるようなら、その人との関係は浅くて上っ面だけである。

 

だったら、自分を守ったり、自分を出さないよりかは、自分を認めた上でこの世と繋がろうとするならば、最初から口に出しても良い気がする。

身の回りで様々な出来事を、自分の努力や環境や実績だと誇りに思うよりも、奇跡だとしたほうが自分から距離が離れるので、幸せで楽なようなきがする。

 

言葉で言っても軽薄で、掴み取れない・恥ずかしいものならば、いっそ奇跡を歌詞に書いて歌う歌手のように、形に残して発表したほうが気持ちが良い。

 

コーヒーのお供は

あれからギターを毎日弾いておりますが、今日から下宿先を離れるので、見事に三日坊主です。

初心者を唸らすFコードも調子がよければ弾けるようになった。

 

つい最近、個人営業のコーヒー屋さんが近所にあることを知って行ってみた。

 

おばあちゃんが1人でお店をやっており、豆や道具を売っていて、コーヒーの持ち帰りもできるしお茶もできるし、お洒落ではない(褒め言葉)居心地のよい空間で、昼食後ゆっくりコーヒータイムを楽しんだ。

 

家で豆を挽いたり、マンデリンなどの苦味が強いコーヒーが好きなんですと話すと、お店オリジナルブレンドのインスタントをいただいた。

 

私の独断と偏見で、コーヒーのお供にはチョコレート。と思っていたのだが、おばあちゃんは本日のブレンドコーヒーにカントリーマアムをつけて出してくれた。

 

せっかくなので一緒にいただくと、カントリーマアムとコーヒーが、驚くほど相性ばっちりだった。結婚すればよい。

カントリーマアムのほどよい甘さと空気の隙間のあるクッキー、コーヒーのもつ苦味が旨味になり、失われた水分を取り戻す。

コーヒーのお供は間違いなくカントリーマアムだ。ホットコーヒーが良いと思う。そしてブラック。

 

コーヒータイムを楽しんでいる間、おしゃべり好きのおばあちゃん店主とも会話が弾んだ。

豆を挽く良い香りの中で家族の話や、お店の成り立ちなどを話して、絶妙に幸せな時間を過ごした。

 

また豆を買いに、コーヒーを飲みに来るね!と約束した。

常連になる予定なので、お店の名前は教えません。!

 

 

ブログチャレンジ

始めましたこんにちは。くるしまです。

 

去年にはてなブログを開設してそのままになっていたが、

友人にブログ始めようぜと言われ背中を押された。

 

いつぶりだろうか、

中学時代は携帯を持ち始めてから、よくアメブロを書いていた。

その前に小学生の時はパソコンでYahooブログをやっていたのも覚えている。

当時ピアノを習っていて、「はあ~のうた」 という不協和音で構成された、宿題や家に帰ることへの憂鬱さを歌詞にした曲を作ったり、寺尾聰の「ルビーの指輪」をずっと歌っているような何ともイタい中年おばさんのようなガキだったので、ブログの内容も庭に咲いたひまわりの写真をアップしたり、やりもしない歯の矯正について書いていた記憶がある。

 

やろうと思ったことはすぐ始めたい派なのだが、いつも始めてすぐに戸惑ってしまう。ど田舎に生まれたので初めてのことに関して、高い壁を自ら作ってしまうのが癖になっているのかもしれない。

初めてのマクドナルド、初めての電話、初めてのスタバ、子供だけでの遠出、初東京など様々なデビューは、今も鮮明に覚えている。

例えば、初めての東京。

高校二年生になる春休み、六本木の新美術館で行われた「五美大展」と、森美術館で行われたファンだった小谷元彦氏の「幽体の知覚」を見に行くために、高松から高速バスに乗り友人と二人で初上京した。

高松駅に友人と集合した時点で不安と緊張が押し寄せ、1、迷ったら人に聞く、2、変な人に絡まれないように頑張る ことを念頭に置いて乗車し、バスは新宿に到着した。新宿駅は、見たこともない人の多さと出入り口の多さ、路線のややこしさに焦りや不安のメーターは越え、その場で脳みそも身体も一時停止した。

すでに疲労困憊の二人だったが何とか六本木に到着し、トイレを探し求めた結果、六本木ヒルズに入ってしまった。

綺麗で高貴な人たちがペラペラと外国語を喋りながら電話をしたり資料を広げているヒルズ内の光景に、芋高校生二人は完全に浮きまくっていた。

ビル内のトイレも大理石みたいなものでできており、鏡も窓もピカピカで、感動して記念に写メを撮った。タオル生地のハンカチを出すことさえも恥ずかしかった。

用を足した後、おしゃれでモダンなお店があったのでそこで飲み物を買って出てきたら、なんとセブンイレブンだった。(当時四国にセブンイレブンはない) 

  

デビューとは真逆の出来事ですが、恋人に別れを告げた車内にて、彼が選曲した小沢健二奇妙礼太郎星野源くるりなどの曲が流れた。

別れは出会いを呼ぶのか、それをきっかけに、なんだかギターを始めようと思って、実家に眠っていた姉のアコースティックギターが昨日届いた。

ダンボールを開け、弦が緩んだギターに向かい初チューニングしていたら、一本弦を切ってしまった。

弦の替えも入っていたので交換しようと思ったら、替える予定の弦だけが無い。

今日にでも足を伸ばして御茶ノ水あたりの楽器屋に買いに行こうか、、と思っている。

もうすでにギターって簡単に弾けるものじゃないなと弱り始めている私を許して欲しい。

来週から暫く熱海と東京を行き来する生活が始まるので、重いギターは持って行きたくないし、軽いトラベルギターかミニギターが欲しい、なんて思っている。

まだなんのコードも弾けてないのに。

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お題「ブログをはじめたきっかけ」