sakikurushima

小豆島生まれ 愛知県立芸術大学卒業後、現在東京芸大大学院在学中。

将来住みたい家

もう一年くらい更新してない気がする

色々とタイミングはあったのに

書けなかった

といっても誰も見てないので

書く内容が全く整理できてないけど

書こうと思う。

 

将来のことが全くわからない

作家を続けていく意思はある

けど

 

名誉も金もあり、旦那も子もあり、

太ったり痩せたりもせず、健康で、

家もローンは毎月払うがそこそこな二階建てのマイホームで、車も持ち、

なんなら猫も居て、所謂一般的な幸せを手に入れてる将来があるとすれば、

私は作家はやめてしまっている気がする。

 

適度な不満や不安がないと

作品を作る意味がなくなってしまう。

幸せという言葉をいつまでも壊し続け、

わけのわからないものを

いつまでもわけのわからないものにしたい

 

そうすると、

将来は

そこそこ貧乏で、

名誉もなければ、友人もほとんどおらず、旦那も子もおらず、

いくつかの病気をかかえ、

ゴミのような作品を抱えるだけの場所と寝床を確保できる家にひっそりと住み、

時たま遊びに来るノラ猫を愛で、

車は相変わらずホームセンターのトラックを

時々借りる

 

ことになる。

それでも私は幸せな気がするな。

もうちょっと欲を言って、あり得てもよい将来を考えてみる

名誉はなくていい、金もたくさんは必要ないが、作品を実現するための金はある

友人は限られているがたまに会い、

実家の家族も相変わらず連絡は少ないが気が向いたら電話し、

愛する人は居て、子はなくても良い、

病気はせず至って健康、煙草はほとんど吸わない、酒もほとんど飲まない

実家の方に倉庫を持ち、若い頃の作品を置いておき、帰省した頃に漁って出してきたりする

ボロでもいいから、日本でも海外でも住む拠点や転がりこめる家をいくつか持ち、安心する家をひとつ持つ。

いくつかのお気に入りの場所が近くにあって、

蛇を飼ってたら猫は嫌うし諦めよう

各地でノラ猫を愛で、

車は誰かに借りるか、どこでも行けて金もかからない、荷物がいっぱい入る魔法の乗り物を持ってる。

 

現時点で結構欲張ってるけど、将来あり得てもいい幸せだ

 

そのために今何をすべきかは、ちょっと自分で考えます

奇跡を信じること について

「奇跡」

という言葉を使わなくなった。

 

小学生の頃、台風の日に学校から帰る道中で、同級生たちはみんな、湖のような水たまりに入って遊んだり、傘を壊してはしゃいだりしていた。

私は、傘の下で当時信仰していた宗教の教典を囁きながら帰ったら、傘が壊れずに家までたどり着いた。

これは奇跡だと思った。

 

10代前半の頃までは奇跡という言葉をすんなり受け止め、よく耳にし、なんでも奇跡だと言っていた気がする。

GReeeeNRADWIMPSの歌詞にも出てくるように、幸せや青春の時間そのものを奇跡と呼んで子供ながらロマンに浸っていた。

 

大学生になった18の頃、8歳年上の同級生に、「野望はあるか」と聞かれ、「そんなのみんなあるんじゃない?」と答えたところ、「あっても言えないよね」と彼は言った。

奇跡を信じることについても、言えないということをひしひしと感じるようになった。

 

大人の都合いい言葉や解釈を、反論したくてもウンウンと頷いて黙って聞いて、私の話はすべて「若いね」「そういう時期だよね」「これからでしょ」「若いのにそんなこと考えてるの」などの言葉で流される。

そんな機会が増えるにつれ、生きてることは奇跡なんてことは綺麗事にすぎず、カラオケでしか口に出すことはない。厨二病ピーターパンシンドロームのような扱いを受け、言葉でロマンを並べることを、避けて通るようになった。

 

身近な年下の10代の彼らは

、恥ずかしいセリフやダサい趣味を何の恥ずかしげもなくオープンにする。

そのような経験に基づいて、奇跡を信じることについて、背徳感を覚えるような世の中ってどうなんだと問いかけたい。

 

ここで読者さんは、いいじゃん奇跡信じても。口に出しても。気にしなくても。

と思うかもしれない。

確かに、その通りである。 この世でやらなくちゃいけないことなんてなくて、いつだって恥ずかしさによる閉鎖は自分を守り、自分を出さない手段にしか成り得ない。

 

しかし、「奇跡を信じること」について、口に出さない理由は、背徳感だけではない気がする。

自分にとっての幸運や、大事な時間を奇跡と呼ぶならば、それを自分のものとして仕舞っておきたいがために、言いたくないという理由である。

 

人に言ったり公に出すことで、自分の中で壊れゆくものになる気がするのだ。

 

奇跡を信じることは自分を信じることに近くて、外に出した瞬間、自分の中で美化したものが、他者によって壊れたり邪魔されることがある。

 

他者の解釈は自由で、勝手なものである。

でもそれで相手に嫌われるようなら、その人との関係は浅くて上っ面だけである。

 

だったら、自分を守ったり、自分を出さないよりかは、自分を認めた上でこの世と繋がろうとするならば、最初から口に出しても良い気がする。

身の回りで様々な出来事を、自分の努力や環境や実績だと誇りに思うよりも、奇跡だとしたほうが自分から距離が離れるので、幸せで楽なようなきがする。

 

言葉で言っても軽薄で、掴み取れない・恥ずかしいものならば、いっそ奇跡を歌詞に書いて歌う歌手のように、形に残して発表したほうが気持ちが良い。

 

コーヒーのお供は

あれからギターを毎日弾いておりますが、今日から下宿先を離れるので、見事に三日坊主です。

初心者を唸らすFコードも調子がよければ弾けるようになった。

 

つい最近、個人営業のコーヒー屋さんが近所にあることを知って行ってみた。

 

おばあちゃんが1人でお店をやっており、豆や道具を売っていて、コーヒーの持ち帰りもできるしお茶もできるし、お洒落ではない(褒め言葉)居心地のよい空間で、昼食後ゆっくりコーヒータイムを楽しんだ。

 

家で豆を挽いたり、マンデリンなどの苦味が強いコーヒーが好きなんですと話すと、お店オリジナルブレンドのインスタントをいただいた。

 

私の独断と偏見で、コーヒーのお供にはチョコレート。と思っていたのだが、おばあちゃんは本日のブレンドコーヒーにカントリーマアムをつけて出してくれた。

 

せっかくなので一緒にいただくと、カントリーマアムとコーヒーが、驚くほど相性ばっちりだった。結婚すればよい。

カントリーマアムのほどよい甘さと空気の隙間のあるクッキー、コーヒーのもつ苦味が旨味になり、失われた水分を取り戻す。

コーヒーのお供は間違いなくカントリーマアムだ。ホットコーヒーが良いと思う。そしてブラック。

 

コーヒータイムを楽しんでいる間、おしゃべり好きのおばあちゃん店主とも会話が弾んだ。

豆を挽く良い香りの中で家族の話や、お店の成り立ちなどを話して、絶妙に幸せな時間を過ごした。

 

また豆を買いに、コーヒーを飲みに来るね!と約束した。

常連になる予定なので、お店の名前は教えません。!

 

 

ブログチャレンジ

始めましたこんにちは。くるしまです。

 

去年にはてなブログを開設してそのままになっていたが、

友人にブログ始めようぜと言われ背中を押された。

 

いつぶりだろうか、

中学時代は携帯を持ち始めてから、よくアメブロを書いていた。

その前に小学生の時はパソコンでYahooブログをやっていたのも覚えている。

当時ピアノを習っていて、「はあ~のうた」 という不協和音で構成された、宿題や家に帰ることへの憂鬱さを歌詞にした曲を作ったり、寺尾聰の「ルビーの指輪」をずっと歌っているような何ともイタい中年おばさんのようなガキだったので、ブログの内容も庭に咲いたひまわりの写真をアップしたり、やりもしない歯の矯正について書いていた記憶がある。

 

やろうと思ったことはすぐ始めたい派なのだが、いつも始めてすぐに戸惑ってしまう。ど田舎に生まれたので初めてのことに関して、高い壁を自ら作ってしまうのが癖になっているのかもしれない。

初めてのマクドナルド、初めての電話、初めてのスタバ、子供だけでの遠出、初東京など様々なデビューは、今も鮮明に覚えている。

例えば、初めての東京。

高校二年生になる春休み、六本木の新美術館で行われた「五美大展」と、森美術館で行われたファンだった小谷元彦氏の「幽体の知覚」を見に行くために、高松から高速バスに乗り友人と二人で初上京した。

高松駅に友人と集合した時点で不安と緊張が押し寄せ、1、迷ったら人に聞く、2、変な人に絡まれないように頑張る ことを念頭に置いて乗車し、バスは新宿に到着した。新宿駅は、見たこともない人の多さと出入り口の多さ、路線のややこしさに焦りや不安のメーターは越え、その場で脳みそも身体も一時停止した。

すでに疲労困憊の二人だったが何とか六本木に到着し、トイレを探し求めた結果、六本木ヒルズに入ってしまった。

綺麗で高貴な人たちがペラペラと外国語を喋りながら電話をしたり資料を広げているヒルズ内の光景に、芋高校生二人は完全に浮きまくっていた。

ビル内のトイレも大理石みたいなものでできており、鏡も窓もピカピカで、感動して記念に写メを撮った。タオル生地のハンカチを出すことさえも恥ずかしかった。

用を足した後、おしゃれでモダンなお店があったのでそこで飲み物を買って出てきたら、なんとセブンイレブンだった。(当時四国にセブンイレブンはない) 

  

デビューとは真逆の出来事ですが、恋人に別れを告げた車内にて、彼が選曲した小沢健二奇妙礼太郎星野源くるりなどの曲が流れた。

別れは出会いを呼ぶのか、それをきっかけに、なんだかギターを始めようと思って、実家に眠っていた姉のアコースティックギターが昨日届いた。

ダンボールを開け、弦が緩んだギターに向かい初チューニングしていたら、一本弦を切ってしまった。

弦の替えも入っていたので交換しようと思ったら、替える予定の弦だけが無い。

今日にでも足を伸ばして御茶ノ水あたりの楽器屋に買いに行こうか、、と思っている。

もうすでにギターって簡単に弾けるものじゃないなと弱り始めている私を許して欲しい。

来週から暫く熱海と東京を行き来する生活が始まるので、重いギターは持って行きたくないし、軽いトラベルギターかミニギターが欲しい、なんて思っている。

まだなんのコードも弾けてないのに。

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お題「ブログをはじめたきっかけ」